《平 和 特 集》
 
原水爆禁止2015年世界大会(長崎)
戦後70年 バトンをつなぐ長崎の旅
 〔2015年8月掲載 −ぶんきょう 平和特集号−15.8.12 より〕

 支部副委員長 磯貝 正昭

子育て世代2人と定年世代2人が
8月7日〜9日の金土日で開催された
 戦後70年の節目の原水爆禁止世界大会に、文京支部から後継者対策部の國松部長、横田執行委員(第一分会)、木村執行委員(第三分会)と副委員長の磯貝の4人が文京原水協と共に参加しました。定年間近の二人と子育て世代二人の組み合わせで、違った感じ方・見方が出てくると思い期待もしていました。
 1日目は早朝6時半発の新幹線で7時間に及ぶ行程に出発、長時間でどうなるかと思いましたが硬軟取り混ぜた話をしながら以外に退屈せずに過ごしました。
 到着後、長崎の集い(市民会館・体育館)に参加しました。海外の代表から挨拶がありました(20カ国を超える国々が大会に参加)。被爆70年を核廃絶の年にしようと「ノーモアヒロシマ、ノーモアナガサキ、ノーモアヒバクシャ、ノーモアフクシマ、ノーモアウォー」と訴えがありました。合唱団(被爆者だけの合唱団もあった)、被爆者の谷口さん(16歳で爆心地から1・8キロの処で被爆)のお話等、大変感動しました。夜には東京土建本部主催で70人程が参加する交流会があり、挨拶でそれぞれ初日の感想を言いました。江戸川支部と同席になり支部の話などで若手二人も江戸川の新人書記と盛り上がっていました。
 2日日は佐世保基地調査行動に参加、大型バス10台という人数の多さに驚きました。また米軍・自衛隊・米軍火薬庫など延々と続く基地にショックを受けました。船に乗り海から見るとさらに驚きました。漁船の姿が見えないカモメのいない静かな海。静かなことで、逆に米軍の基地が増えてしまったとのことでした。帰りにガイドさんからあまり基地反対運動が盛り上がっていないと言われ、空しく思いました。夜は疲れもあり飲む気もせず、早く寝ました。
 3日目は被爆ナガサキデー集会・閉会総会(市民会館・体育館)に参加。この日も1日目と同じように代表者の力強い決意が述べられ、原爆投下の時間に合わせて全員で黙祷をおこないました。被爆者の奥村さん(8歳の時に爆心地から500mで被爆)の娘時代の話等、大変胸を打つものがありました。署名運動をしている高校生、また中学生、小学生の決意表明には場内が拍手で沸きました。最後に決議文を読んで閉会となりました。

若い人が断然多い
開会の集いには5000人が参加。長崎市長の出席も
 今回の長崎の大会は大変暑く、まさに熱中症一歩手前で乗り切った思いでした。若手二人も感動し、それぞれ思いを強くしたと思います。次回はとの問いに「もういいです」と言っていましたが、やはり若い人が行くべきだと感じたようでした。実際に若い人が断然多かった大会でした。また、その若い参加者同士が交流できるような機会があるともっといい大会になるのではないかと思いました。

 
被爆国日本がリーダーとなって

 常任執行委員・後継者対策部長 國松 利行

 被爆をした人からの体験を生で聞き、涙をこらえられませんでした。
 核兵器の廃絶(研究・開発・利用をしないさせない)の思いを一層強くしました。また、若者が多数参加していたことをうれしく思いました。
 世界の中でも輝きを増している憲法9条を改悪させてはいけないこと、非核三原則を堅持することが大切であることをあらためて実感しました。この思いを日本だけでなく、被爆国日本がリーダーとなって世界中に広げていきましょう。
 後世の世代のためにも。

実体験だからこそ伝わる言葉


 第三分会 木村 雅一

 被爆をされた方から直にお話を聞くことができました。実体験だからこそ伝わる言葉に、戦争は二度と起こしてはいけないと実感しました。また、若い母親の方の「子供にちゃんと説明できるよう、今がんばりたい」との話には、行動することの大切さを改めて感じました。
 貴重な体験が出来て感謝しています。



現地で聞く体験者の話が心に

 第一分会 横田 亮一

 事前の仕事の調整などでバタバタと当日を迎えた。長時間の電車での移動、長崎の痛いほどの日差し、会場でのパイプ椅子など慣れない事が多く、体調面で多少苦労があった。
 ただ、現地で聞く体験者の話は心にしみた。原爆資料館も見学してきた。
 やっぱり戦争はやっちゃいけないとの思いを強くした。